青の物語をちょっとだけ読んでみる。

『４つの物語　青の物語―Ton destin est entre tes mains―』

　僕は不思議な体験をした。未だにその真相はわからない。
　事の発端は一ヶ月前――
　そう、偶然あの現場にいた事に始まる。僕は、少女が崖の上から飛び降りる現場を目撃したのだ。
　その時、その少女が僕の方を向いて変な言葉を言っていた気がする。それがなにかは思い出せない。そもそも、本当に聞いたのかも定かではない。
　今思えばその事自体も偶然ではなく、必然だったのかも知れない。
　とにかく、その時から始まったという事だけは断言できる。
　こうして、僕の運命の歯車は不規則な回転を始めた。

「おい、辜耶！」
　二階で寝ていた僕は、階下からの親父の声で起こされた。
「なんだよ！　なんか用かよ！」
　ゆっくり眠っている所を無理矢理起こされて、僕は不機嫌だった。
「なんだよ、じゃねぇ！　さっさと起きて、学校に行かねぇか！」
　そう言われて、僕は慌てて時計を見た。
「やっべぇ！　どうして、もっと早く起こしてくれなかったんだよ！　ギリギリじゃねぇか！」
「どれだけ起こしてやったと思ってるんだ！　お前のせいで、俺だって講義に遅れそうなんだぞ！　俺はもう行くからな！　辜耶！　新学期早々、遅刻するんじゃないぞ！」
　そう言うと、親父は大学に行った。
　親父が家を出ていくのを見つつ、僕は急いで着替えを済ませた。
「いってきます」
　いつものように誰もいない家に向かってそう言い、僕は出掛けた。

　僕は、大学で海洋学を教えている親父と二人暮らしだ。
　母親はいない。僕が生まれてすぐ死んだんだそうだ。
　親父は母親に関してなにも教えてくれないし、写真も残っていない。だから、僕は母親の顔を知らない。淋しいけれど、もうそれにも慣れた。
　それが当然なんだと思えば、そうんな気になってくる。
　他のヤツらを羨ましく思わないと言えば嘘になるだろう。
　まあ、淋しいという気持ちはあるけど、いないものはしょうがない。無い物ねだりはよくないからな。
　今の僕には親父がいる。
　それに友達も、仲間だっている。だから、今は今で楽しい。
　そりゃ、淋しくもなるけど、今さら母親がいたって、僕はどうすればいいのかわからない。
　正直、母親というものがどういういものなのかわからない。
　いなくてもなんとかなってるんだから、いなくてもいいじゃん、ってな感じだ。もちろん、いるに越した事はないんだろうけど。
　でも、幸せなんて人それぞれだ。
　だから、僕はこのままでいい。このままがいい。
　親父がいて、
　友達がいて、
　仲間がいて、
　毎日が楽しくて……。
　それ以上は贅沢ってもんだろう。
　世の中、どうしようもない事なんて山ほどあるわけだし、僕よりも不幸な人だって山ほどいるんだ。
　嘆いたって、しょうがない。嘆くだけ無駄ってなもんだ。
　それにしても、と思う。あの事件だけは。

　珍しく雪が降った二月のある日、僕はなにかに誘われるようにあの崖にやってきた。
　風が強い。今にも吹き飛ばされそうだ。
　そんな天候にも関わらず、切り立った崖の上に一人の少女がいた。
　それが彼女との出会い。そして、彼女が現世に別れを告げた時。
　彼女はそこから飛び降りた。
　そして――彼女の姿は海に消えた。
『モタメソモテマセ』
　そんな意味のわからない言葉が聞こえた。いや、本当に聞こえたのかも定かではない。なにせ僕は崖の上、彼女は……。
　とにかく、僕はその言葉を聞いた。

〝モタメソモテマセ〟
　その言葉が頭から離れない。頭に中でずっとそのフレーズが聞こえる。
　なにかの暗号かも、と思い、あいうえおでその文字の前の単語を書き出してみた。
〝めそむせめつほす〟
　意味はわからない。今度は次の単語を書き出した。
〝やちもたやとみそ〟
　やはりわからない。
　パソコンのキーではどうだろうか？　カナ入力でローマ字打ちしてみる。
〝もらかちもいとらもらかいもちとい〟
　やっぱりわからない。
　じゃあ、その逆は？
〝ｍｑ・ｃｍｗｊｐ〟
　意味なんてあるわけないな、これに。
　色々組み合わせてみたのだが、どれもわけのわからない言葉だ。
　僕の暗号解読は行き詰まった。
　そんなに勉強ができるわけでもない僕には、それが限界だった。所詮、探偵でもない僕には、その程度が関の山だ。それ以上は、高望みというやつだろう。
　僕はその事を忘れる事にした。

　夢を見た。
　あの事件があった夜だ。
　あの少女が崖から飛び降りた夜だ。
　ほとんど覚えていないが、わずかに覚えている。

「うわ～、きれいだな～」
　僕は海中を泳いでいた。
　周りには奇麗な魚が泳いでいる。

　ただそれだけの夢だった。
　その夢を見た時、あの言葉を思い出した。
「おーい、辜耶！　お前に手紙が届いてるぞ！」
　階下から親父の叫び声が聞こえた。
「わかった！」
　僕は叫び返した。
　手紙――正確には封書を親父から受け取ると、早速、開封した。
「なんだ、これ？」
　中には、青い便箋が一枚入っていた。そしてそこには――

〝Ton destin est entre tes mains〟

　と、書かれていた。
「なんだ、これ？」
　学識にない僕には、読む事すら困難だった。
「とん、です……てぃん、えすと、えん……あ～わからん！」
　あっという間にお手上げだ。
　だいたい、ここは日本だぞ。日本なら日本語で書くべきだと僕は思う。
　英語なんて読めるはずないだろ。
　って、そもそもこれって英語なのか？　こんな英単語は見た事がない。
「――って、誰からだ？」
　僕は、差出人を見ていなかった事に気付き封筒の裏を見たが、そこに差出人の名前はなかった。
　送り主の名前はなかったが、宛先の所には〈羽雫辜耶　様〉と書かれていた。確かに、僕宛には違いないのだ。
「…………」
　背筋がゾッとした。
　きっと、仲間の燈矢か誰かの悪戯だと思い、便箋を捨てようとした……が、思い止まり、机の引き出しにしまった。

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