めびうすをちょっとだけ読んでみる。

『ＭＯＢＩＵＳ　―闇を司る者―』

　グレーのスーツをビシッと着こなした男が歩いていた。しかし、サラリーマンといった雰囲気はない。どこか普通とは違う空気をまとっていた。まるで裏社会に関わっているような雰囲気だった。
「ったく……嘘か本当か……わからない事だらけだな」
　男はため息を吐いた。
　ポリポリと頭を掻く。
「しかし……こういったものは大抵デマだったりするわけだしな。……だが、どうしてだ？　どうしてこうも信憑性があるように……」
　背広の内ポケットから小さなメモ帳を取り出すとパラパラとめくる。そこには今まで調べた事が書き込まれている。

〝このメールを受け取ると一週間後、死神に殺される〟

「ったく……こんなもん信じられるわけないだろうに。だいたい、この世の中に死神ってのは、ちょっとな……。非科学的すぎるだろ、これは」
　ぶつぶつとそんな事を呟きながら歩く男を、周囲は訝しがりながら避けて過ぎていく。
　男はそれに気付いていたが気にするほどでもないので放っておく。周りにどう見られようとも気にしなければなんでもないのだ。必要以上に気にすると、厄介な事にしかならない。
「さて、ちょっと一休みするか」
　そう言うと、男は近くにあった喫茶店へと入っていった。

　――カランカラン！

「いらっしゃいませ」
　男が入っていくと、カウンターの向こうにいた女性が言う。
「ブルマン、アイスで」
　男はその女性にそう言うと、窓際のテーブル席に座る。
　店の中には、学校帰りであろうか、三人の女子生徒のグループがいるだけだ。男は、あれは輪宮の制服だな……と、心の中で呟く。
　別に彼は制服マニアなどではない。単に仕事上、便利なので知っていただけだ。情報の一種であり、趣味思考とは異なる。
「ねぇ、知ってる？」
　髪の長い少女が、そう話を切りだした。男は無意識のうちに耳を傾けている。どんな小さな事も逃さない。それが男の職業には必要なのだ。
「なに？」
　その少女の向かいに座っていた日焼けした少女が興味を示す。もう一人の真面目そうな少女は視線だけを向ける。
「昨日さ、雪乃に届いたんだって……」
「届いたって、なにが？　……え、もしかして……」
　日焼けした少女は、目の前の友達が言おうとしている事がわかったようで、驚いていた。
「そうなの。噂のアレよ」
　その言葉に真面目そうな少女の目が変わった。
「それって、マジなわけ？」
「マジらしいよ。実際に見たわけじゃないけどさ……」
「お待たせしました」
　男は突然の言葉にビクンとなる。
（しまった……。これ程までに集中していたか……）
　と、自分の失態を悔いる。ここまで集中した事はあまりなかった。どれだけ聞き耳を立てていても、周りの事にも気を配っている。目の前の事だけに集中していると、いつどこから危険が来るかわからないからだ。
　この職業は本来ならそこまで危険ではないのだが、彼は自ら危険に身を置いている節がある。そのせいだろうか、彼の元にくる依頼もそういったものが多い。
「ごゆっくりどうぞ」
　カップを置くと、カウンターに戻っていく。それを目で追いながら、耳は少女たちの話に集中していた。
「じゃあさ、もうお終いなんだ……」
「そうみたいだよ。雪乃、真っ青な顔だったってさ」
　話の内容とは異なり、彼女たちは別に深刻そうではない。他人事なだけに、呑気なものだ。
「そうだよね……ねぇ、禎子もそう思うでしょ？」
　日焼けした少女が、今まで黙っていた少女に話し掛ける。
「そうね。怖いわね」
　と、当たり障りのない言葉でまとめる。少し素っ気ない気もするが、二人は気にも留めず、
「そうよね……」
　と、彼女の言葉に頷く。
　禎子と呼ばれた彼女が一番深刻そうにしているようにみえるが、本当に興味なさそうにしか思えない。
　男はゆっくりと席を立ち、彼女たちに近付く。
「ちょっといいかい？」
　彼女たちは突然の事に驚き、男を不審な目で見る。そんな事は日常茶飯事なので、たいして気にしない。
「おっと、これは失礼。俺はこういう者なんだ」
　そう言って、内ポケットから取り出した名刺を渡す。少女は受け取ったそれをしげしげと見る。
「……探偵……さん？」
　日焼けした少女が呟く。そして、名刺と男を交互に見る。
「その探偵さんが私たちになんの用なんですか？」
　禎子が淡々と言う。驚きはないようだ。
「実は、ある人の依頼で噂について調べているんだよ」
「噂って、もしかして……」
　髪の長い少女が口を押さえる。
「きっと、君たちが今まで話していた事だろうね。詳しく聞かせてもらえないだろうか、噂に関しても」
　少女たちは互いに目配せする。話していいものか考えあぐねている。
「残念ながら、そういった噂にはとんと疎くてね。どうしても君たちのような子に訊くしかないんだよ」
　気のいいおじさんを装って訊く。あまり真面目に訊くと、警戒されて答えてくれなかったりする。なので、少し下手に出るような感じで、フレンドリーに話し掛ける。
「まあ、別に構いませんよ。噂の内容ですよね」
　髪の長い少女が口を開く。
「ある日突然メールが届くんです。そのメールの差出人がＭＥＢＩＵＳなので、みんなはそれをメビウスメールと呼んでいます。で、その内容は……」
　そこで言葉を切る。
「……ごめんなさい。えっと……内容は、このメールを受け取った者は一週間後死ぬ、と。それだけなんだそうです」
　探偵はフムフムと頷きながら聞いている。
「なるほど……」
　それは彼が今まで聞いたものと同じ内容だった。どうやら、全く同じ内容が流れているらしい。このテの噂は違う内容が流れる事が多い。だから嘘が蔓延している。しかし……しかしだ。同じだという事は、信憑性がある可能性がある。
「それで、対処法なんかはないのかい？　届いたら必ず死んでしまうのかい？」
　これもある程度同じ事が噂されているが、違う場合もあるので念のために訊く。というよりも、違う方が多い。
「さあ？」
　と、友達に助けを求めるが、首を横に振るばかりだ。
「でも、十人に同じメールを送れば助かるとか、そんな感じの事は聞いた事があります」
　と、日焼けした少女。
「なるほどね……」
　探偵は疑問を感じた。対処法は今まで同じような事を聞いた。しかし、他にも色々とあったのだ。〝メビウス去れ〟と三回紙に書いて、文字がわからないくらいに破いて燃やすとか、届いて一分以内に消去すれば助かる、だとか、数えきれないくらいあった。
　昔に流行った十円玉を使った占いも、似たような対処法だった。だが、あれはある程度統一されていたような……。
　噂は一つなのに対処法が無数にあるという事になる。どうやら、対処法に信憑性はないようだ。もしくは、対処された事がないのだろう。
　一連の連続失踪は、これが原因だろう。
　探偵はそう結論付けた。
「ありがとう。役に立ったよ。それでもう一つなんだが、その君たちが話していた女の子の住所はわかるかい？」
「ええ、彼女の友達なら知ってると思いますけど……」
　そして、探偵は問題の彼女の住所を聞くと、彼女たちの分の勘定も払い喫茶店を出た。

　　　　　　★――――★――――★

「ねぇ、そういえばさ、旦那はどうなの？」
　鳥居優里亜は突然の質問に驚いた。
　彼女は、親友の与谷冴子と一緒にキャンパス内を歩いていた。講義と講義の間に時間ができたので歩いていたのだ。
　二人は芽琉国際大学の社会学部の学生である。
「だから、旦那じゃないってば」
　鳥居は照れた仕種を見せて、与谷にそう言う。しかし、まんざらでもない様子だ。与谷はさらに、
「似たようなものでしょうが。で、最近はちゃんと帰ってきてるの？」
　同棲しているのだから似ているようなもの、というのが与谷の談である。
　その質問に鳥居はションボリとした表情を見せる。ふぅ～、とため息を吐いて俯く。
「それが、ずっと仕事場に泊まりっきりでさ……全然」
　そう言うともう一度ため息を吐く。
　てっきり、うまくいっているとおもっていた与谷は、自分の質問を少し後悔したが、優里亜があまりに明るいので、少し安心した。きっと、深刻なものではないのだろう。
「浮気じゃないの？　他の女の所に入り浸っているとか……」
　本気でそう思っているわけではない。ちょっとした悪戯心だ。しかし、少しは、もしかしたら……という気持ちがないわけではない。
「そんなの、全然ないって。彼、仕事命だから。ていうか、ゲームのシナリオの〆切がもうすぐだとかで……。他にもマスターアップ前とか、そういうので結局は完成まで帰ってこないの」
　鳥居はそれには動ぜず、サラリと言ってのける。彼女にとって、これは日常の一つであり、別段珍しい事ではない。
　昔は疑った事があったが、今ではそんな事はない。信じている。その言葉で終わってしまう。
　その業界の事はよく知らないが、彼に言わせればそんなものなのだそうだ。
「それってさ、つらくない？」
　そんな友人を見て、与谷は心配そうに言う。一緒にいるはずなのに、これではずっと会っていないようだ。まるで、遠距離恋愛である。
「そうでもないよ、慣れれば。そういうの、わかった上だしね」
「ホント、あんたは偉いわ……」
　ニッコリと言った鳥居の肩をポンと叩き、しみじみと言う。
　きっと、優里亜なら遠距離恋愛も成就できるだろう。与谷はそう思った。
「別に偉くなんかないってば……好きだから信じてるだけだし」
　鳥居は遠くを見つめるような目で言う。
「だから、それが偉いんだってば」
　それができないものなのだ。できれば、恋人を疑う者がいるはずない。どうしても疑ってしまうものなのだ。
「そうかな……」
「乙女チックだねぇ～……っていうか、乙女だねぇ～」
　鳥居が羨ましくなった与谷は、茶化すように言う。
　心底羨ましくなってきた。これ以上は嫉妬になってしまいそうなので、そんな自分を誤魔化す。そうでもしないと、優里亜を本気で嫉んでしまいそうだ。
「なによ、それ……もぅ～」
　二人はケラケラと笑いながら学内を歩いていた。
　これが、与谷と交わした最後の笑顔だった。
　この翌日、鳥居は与谷の前から姿を消す。

　　　　　　　　　　　　　Copyright(C)STUDIO SAIX All Right Reserved.