『MOBIUS ―死を招く者―』





「そういえばさ」
 ハムサンドも食べ終えた及川が話を切り出す。
「なんだ?」
 メロンパンに夢中になりながら言う。
「最近さ、変なメールが流行ってるんだってよ。なんでも、メビウスとかいう差出人から……」
「ああ、これか?」
 そう言って、氷垣は携帯を見せた。
「……えっ?」
 及川は意外な行動に驚いたが、すぐに見せられた携帯の画面を見る。
「…………」
 そして、絶句する。
「これの事だろ?」
 氷垣は全く動じずにメロンパンを楽しんでいる。及川だけが怯えている。
「……お前、これがなんなのかわかってるのか?」
「なにって、ただの迷惑メールだろ? なんだか面白かったから保存してるけどさ」
 はぁ〜美味しかった、とハムサンドに手を伸ばす。
「おいおい、これって届いた一週間後に死ぬとか言われてるヤツだぞ」
 カサッとハムサンドが氷垣の手から落ちる。
「はっ?」
 氷垣は慌てて落ちたハムサンドを拾う。袋に入ったままだったのがよかった。無事だ。
「はっ? じゃねぇよ。有名な噂だろーが」
「知るか! っていうか、どういう理屈なんだよ。俺はただメールを受信しただけだろ? それで、どうして死ぬだのなんだのってあるんだ?」
「それは、おれも知らないけどよ……」
「だろ? そんなの、どっかのオカルトマニアが騒いでて、馬鹿な俺たちくらいのヤツらが便乗して騒いでるだけだって」
「そうかな……?」
 そう思いたいが、どうにも信じてしまっている部分がある。
「そうだって。だいたい、こんなので人の生き死にを決められてたまるかっての」
「そうだよな」
 と、なんだか氷垣に言いくるめられるように納得してしまう及川。
「っていうか、マジだったらヤバイぜ。なにせ、明日がちょうど一週間目だ」
「……マジ?」
 及川は心臓が止まるかと思った。嘘だと思い始めたものの、やはり本当だと思っている。それが、いきなり明日とか言われたのだから、口から心臓が飛び出しても不思議ではない。
「マジ。嘘偽り無く」
 及川は氷垣の言葉に驚くが、当の氷垣は平然とハムサンドをくわえている。
「大丈夫だって。んな根拠のない噂なんてよ。現に、俺はなんともなくピンピンしてるぜ。どうせ、実際になんかあったヤツって、ノイローゼとかそんな被害妄想なんじゃねーの?」
「そうかな……そうだといいんだけど……」
 心配している目で氷垣を見る。その視線に一瞬たじろぐ。
「ったく……。お前が心配してどうするよ。メールが届いてるのは俺だぜ」
 どうも雰囲気が暗くなってしまっている。それをなんとか打破しようと試みて、明るく振る舞う。
「そうだな。とにかく、明後日に無事に会える事を祈っとくよ」
 それでも、及川の態度は変わらない。それどころか、余計に心配してしまっている。
「おー神よ! ってか?」
 氷垣はケラケラと笑う。しかし、空気の重さに、すぐに黙らざるをえない。
 これ以上は、ただの場違いな愚行になってしまう事は氷垣にもわかっていた。これ以上はただの道化師だ。って、こりゃ道化師に失礼な言い方か。
 そんな氷垣を、及川は心配そうな表情で見ていた。
 そんな及川に、思わずため息を吐いてしまう。

 ――キーンコーン! キーンコーン! キーン……!

 それを、チャイムがかき消してくれた。
「ほれ、チャイム鳴ったぞ」
 氷垣は及川の肩を叩く。
「ったく、これじゃどっちに届いたのかわからねぇじゃんか」
 そうだな、と呟きつつ及川も立ち上がる。
「そんなの根拠のない噂だって、俺が身を以て証明してやるからさ」
 氷垣はそう言って及川を励ます。


 運命の日。
 氷垣はいつもと変わらず登校した。
 朝になればなにか異変があるのかと思ったが、別段なにもなく……むしろスッキリとした目覚めだったのでそうしたのだ。
 そんな氷垣を見て、及川の方が心配する有り様だ。相変わらず、どっちに届いたのかわかりゃしない。
「大丈夫なのか?」
 及川は事ある毎にそう訊く。
「大丈夫だって。見たとおり、ピンピンしてるぜ。なんともないからそんなに心配するなって」
「そうだけどさ……」
 氷垣はため息を吐く。心配してくれる事自体は有り難いのだが、限度というものがある。どんな事でも、そこそこが一番いい。重荷になっているとまでは言わないが、なんだか重いものは感じる。
 そう思われていると、なんだかその通りにならなくてはいけないような気にすらなってくる。
「その気持ちは嬉しいけどさ、そんなお前を見ていたらこっちが心配になってくる。だからさ、な」
「あ、ああ……」

 そう言うが、心配そうな目で氷垣を見る。  言ったのがまずかったな……。なんの気なしに言ったんだけどな……。まさかここまで心配するとは。
 今日一日は、この状態のままだろう。どう言おうが、及川は心配し続けるだろう。
 有り難いとは思う。こんなに心配してくれるなんて、本当に嬉しい。
 嬉しいのだが……ここまで心配されると、かえって迷惑……とまではいかないまでも、それに近い感情になってしまう。やっぱり重い。
 その日、氷垣は授業中も休み時間も及川の視線を受け続けた。
 そして放課後、休み時間もそうなのだが、及川は氷垣の側に飛ぶようにやって来る。
 そして決まりの一言。
「大丈夫か?」
 何度も大丈夫だと言っているのだが、こればかりはおさまりそうもない。
 しまいにはどうでもいいような気分になってきた。迷惑や鬱陶しいという気持ちを通り越して、呆れてしまった。
 ここまで心配するなんて、こいつは普通じゃない。そう感じてしまった。

 結局、その日は何事も起こらずに授業が終了し、氷垣は家に帰った。
 なんだろうな……。
 氷垣は携帯をポンポンと手の中で遊ばせる。
 よくわからないが、あのメールは危険だって及川は言っていたけど……。
 携帯を見る。
 だが、特になにもない。
 やっぱ、噂は噂なんだよな。気にする事なんてない。
 だいたい、メールを受け取っただけで死ぬなんて、ナンセンスにも程がある。いったい誰だか知らないけど、もうちょっとマシな噂を流して欲しいものだ。まあ、確かに流行しだしているものをネタにするのは間違っていないというか、順当だとは思うけど……これはリアリティがなさすぎるだろ? だいたい、原理がサッパリだ……って、幽霊やその類も似たものか……。
 余計な事を考えて気を紛らわせる。
 だが、完全に忘れる事はできない。どうしても気になってしまう。噂を聞いてから、携帯に目がいく事が増えた。
「ったく、やってらんねぇな」
 氷垣は馬鹿らしくなって携帯をベッドの上に投げた。
 ったく……及川のせいで余計な事で心配しちまったじゃねぇか。
 明日になったら、あいつになにかしてやらねぇと気が済まないな、こりゃ。
 でもまあ、昼飯で手をうってもいいかもな。そのくらいで勘弁してやろう。
 氷垣は携帯をのけて、ベッドに寝転がる。
 そしてゆっくりと目を閉じる。
 結局、なにもなかったよな……。
 あ〜あ、心配して損した。
 …………。
 そして、氷垣は眠りに落ちていった。
 ……。
 …………。
 ………………。

 ……がっ!

 突然、氷垣を頭痛が襲った。



             Copyright(C)STUDIO SAIX All Right Reserved.