Ｖｅｎｔｏをちょっとだけ読んでみる。

『Ｖｅｎｔｏ―Ｐｅｒｆｅｋｔｏ』

　ここが最初だった。
　その時は、なんでもなかったんだ。
　だけど……。
　目の前のスクリーンを観る。
　そこに映し出されているのは今週で上映が終わる映画『思い出との再会』だ。ちょっとした軽い推理サスペンスものだ。
　人気は上々の作品だったのだが、最終週の最終日の朝一番となると人はいない。長い間上映されていたので、ほとんどの人が観てしまったというのもあるのだろう。
　作品自体はよくできていると思う。だけど、もう一度観ようという気にはなれないのは事実だ。
　それでも、俺はもう一度観に来ている。きっと、あの時を再び体験できると思ったからだろう。
　予想通り、他に客はいなかった。だけど、隣の席も俺が購入している。というよりは、ペアの前売りチケットで購入したので自然とそうなってしまっただけ。あの時もそうだった……。
　懐かしいな……。
　たった一年前の事なのにそう思う。いや、正確にはまだ一年は経っていない。だけど、あと一月ほどで一年だ。
　俺はスクリーンに目をやった。
　主人公が危機に陥っていた。
　ああ、この後は敵役がやってきて……。
　もう既に知っている展開を思い浮かべながらぼんやりとしている。
　そうそう。それで敵役が急に味方になって一緒に……。
　最初に観た時はそれなりにワクワクしたものだが、二度目となるとそれほどでもない。むしろ、細かい所に目がいってしまってストーリーなんてどうでもよく感じる。
　俺はよくそんな観方をする。最初は普通に映画を観る。それで面白い、この映画は最高だ……とか思った作品はもう一度観る。そして、伏線やら、細かな部分に隠された演出やらを観る。それは、制作者にとっては嬉しいのかやめて欲しいのか、そんなものはただの一般人の俺にはわからない。
　そんな事を考えている間に映画は終わっていた。
　キャストやスタッフの名前が流れる。
　制作者に敬意を表し余韻を味わう時間。
　作品を振り返る時間。
　作品を頭の中で巻き戻し、早送り再生する時間。
　だけど、今回はそんな事はできなかった。
　どうしてもあの時が思い出される。むしろ、思い出してしまうかもしれないと思ってやってきたのだから、それでいいのかもしれないが。
　それでも辛い。
　自虐的な自分にうんざりする。
　だけど、こんな事で辛いとか云っているようじゃダメだな……とも思う。
　やがて終わり、席を立つ。そして、誰もいない劇場を見回す。
　９番という自分が座っていた席番号が最初に目に付いた。
　スクリーン、二〇〇ほどの客席、映写窓……。
　広いな……。
　誰もいない劇場はそう表現するに相応しい。
　人で溢れる満員の劇場よりも、人が少ない劇場の方が趣があると思う。
　誰にも邪魔されないプライベートな空間が、プライベートでない空間に存在するのだから。その矛盾空間が矛盾だらけの世界に生活する矛盾の俺には心地いい。
　作品よりも空間に余韻を感じながら階段を下りていく。
　そして、スクリーンの前に立ってスクリーンを見上げる。

〝スクリーンに穴が空いているって知ってる？〟

　それを確かめるようにスクリーンを見ると、はっきりとわかる。確かに小さな穴が空いている。
　なんとなく、胸ポケットに入れてあった二枚のチケットを見る。一枚は半券が切り取られているが、もう一枚はそのままだ。
〈スクリーン③　Ｈ列　９番〉
〈スクリーン③　Ｈ列　１０番〉
　切り取られていない方のチケットが淋しそうだ。
　だけど、切らない。
　このチケットはこのままだ。
　でないと、俺は受け入れられないだろうから……。
　あれから、俺はまだ涙を流していない。
　それは、事実を受け入れていないからだ、と言われた。
　でも、どうやったら受け入れられるのか、誰か教えてくれよ。
　どうしたら泣けるんだよ。
　気が付けば、清掃をするために劇場の人が入ってきていた。
　その人は俺を不思議そうに見るが、なにも言わない。まあ、干渉される筋合いなんてないんだから当然だが。
　それでもずっとスクリーンの前に立っていると、声を掛けられた。なんでも、劇場内の空気の入れ換えをするので外に出て下さい、との事だった。空気を循環させる際に埃が立つのだそうだ。その為、無人にするのだそうだ。
　その時になって劇場を出る。
　時計を見ると映画が終わってから十分が経っていた。
　通路には次の上映を観るために待っている人がいる。だが、それは別の作品で、このスクリーンでさっきの映画は上映されない。あとは夜にもう一度上映されて終了だ。次は、先週から上映が開始されたラヴロマンスが上映される。
　俺は通路を無言で歩く。端からは暗いヤツと見えているに違いない。自分でそう思うのだから、相当じゃないだろうか。
　普段なら、通路の額に入れられた近日上映のポスターを見るのだが、今はそんな気分になれない。しばらくは来ないつもりだから、どうでもいい。
　エスカレーターに乗って一階に上がる。
　ポスターやパンフレットやその他グッズなんかを売っているコーナーを過ぎ、チケットカウンターの前を通り過ぎ外に出る。
　ショッピングモールの一部なので人が絶えない。
　そんな人ごみに紛れるように、駅に向かう無料送迎バスに乗り込んだ。

　　　　　　★　　★　　★

　菜々ちゃん。
　空を見上げる。
　この先にいるのか？
　菜々ちゃん。
　その時、ふわりと風が吹いた。

　――『あたし、風になりたいんだ』

　菜々ちゃんの言葉が甦った。
　涙が溢れた。
　止まらなかった。
　今までの感情が全て溢れてきた。
　ねぇ、菜々ちゃん。
　空に向かって呼びかける。
　菜々ちゃんは風になったよ。
　今も俺の心の中を吹き抜けていった。
　菜々ちゃんのそよ風は、ずっと俺の心の中で……。
　菜々ちゃん……。

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