『Renkonto−Mondo ―kruco−mondo― MLCへようこそ!』





「亜依!」
 椎崎誠司はノックもなしにそのドアを開けた。
 部屋の中からは微かに薬品の匂いがする。
 規則正しい電子音も聞こえる。
 誠司の声に一組の夫婦が椅子に座ったまま振り返る。
「誠司君……」
 男性――富所史和がゆっくりと立ち上がりながら言った。
「亜依は、亜依はどうなったんですか!」
 誠司は今にも飛びかかりそうな勢いで詰め寄る。
「ちょ、ちょっと落ち着きなさい」
 史和はその勢いに驚き椅子の向こうのベッドに倒れそうになる。
「誠司君、ちょっと落ち着いて」
 女性――富所梨架が優しく言う。
 が、誠司にはその声は聞こえていなかった。その声どころか、なにも聞こえていない。
 なにも聞こえない。
 なにも考えられない。
 そんな中、目だけが機能していた。
 その目は、じっとベッドの富所亜依を見ている。
 左腕には点滴のチューブが繋げられていて、首元からもなにやらコードがのびている。そのコードは枕元の機械に繋がっている。規則正しい電子音はその機械から聞こえる。
「どう…………どういう事なんですか?」
 誠司はゆっくりと史和に視線を移す。その目は絶望以外のなにものでもないように史和には思えた。世界が崩壊してしまったかのような、完全な絶望をその瞳に感じた。
 その事は少し嬉しくもあった。それは父親として自分の娘をそこまで大切に思ってくれていると思えたからだ。
 が、そう喜んでいられる状況でない事も事実。
 史和は今にも倒れてしまいそうな誠司を支えるように肩に手を置き、
「大丈夫だ……と思う。少なくとも眠っているだけだ。命に別状はない」
 と、優しく諭すように言った。
「原因は……?」
 その言葉に史和と梨架は首を振った。
「わからないの。突然倒れて……」
「医者が言うには、原因不明という事だ」
「原因不明…………」
 誠司の膝から力が抜けた。いや、膝だけでなく全身から。
 まるで魂が抜けてしまったかのように床に座り込んだ。
「おそらくは、最近ニュースになっている原因不明の昏睡だろうと…………」
 誠司は虚ろな瞳で史和を見た。
「実際のところはわからないが、おそらくは……」
 最近ニュースになっている昏睡事件の事は誠司も知っている。
 日本だけでなく世界中で、ある日突然昏睡状態に陥ってしまうという事件だ。
 男女、人種、宗教、国家……あらゆる事に共通点がない事からテロではないとされている。その昏睡している人の誰もが国家的な仕事に従事している人ではないからだ。
 一部では、軍事的演習ではないかとの噂もあるが信憑性は薄い。その意図が全くわからないのだ。もっとも、意図がないと思わせるために作為的に行っていると述べる人もいるが。
 ともかく、毒ガスなどの可能性は薄いとされている。
 病気ではないかとも考えられた。時期は異なるものの、ある時から各地でおこっているのだ。新種の伝染病やウイルスの可能性が示唆されたが、そういったものは全く検出されていない。
 それどころか、全くの健康体なのだ。眠っている事を除けば。
 その為、完全に行き詰まっており、解決の目途はたっていない。
 家族たちは、目が覚めるのをただ待つしかないのである。
 誠司もそのニュースを完全に他人事として見ていた一人だった。
 しかし、目の前で大切な人がその中の一人に加わってしまった今、自分の無力さを痛感せざるを得ない。もっとも誠司にはなにもできないかもしれないが。それでも、そう感じてしまう。

     ∽

 誠司は一人病室にいた。
 史和と梨架はもう帰った。
 誠司君も一緒に帰ろう、と言われたが、誠司はそれを断った。
 なにもできないとはわかっていても、ここを離れる事ができなかった。
 その気持ちを理解してか二人は、亜依の事を頼む、とだけ言って帰っていった。
「なぁ……どうしてこうなったんだよ……」
 亜依の手をギュッと握って話し掛ける。
 少しでも反応してくれないかと期待してみるものの反応はない。
 原因がわからないいじょう、対策のたてようがない。
 せめて手掛かりでもあれば……とも思うが、研究者が調べてもなにもわからないのだから、誠司にわかるはずもないだろう。
 最初の事件は約三週間前だった。
 シエラレオネ共和国に滞在していた日本人だった。原因不明の昏睡という事で首都フリータウンにある総領事館を経由してガーナにある日本大使館に連絡がされ、日本へ報せが届いた。その日本人はすぐさま日本に搬送され、現在は日本の病院に入院している。
 日本の医師など各研究機関が現地に赴き調査したが、なにも発見できなかった。
 それを皮切りに、コスタリカ共和国、トルクメニスタン、ブルキナファソ、アンドラ公国、ツバル、スリナム共和国……などの国で同様の事件が立て続けに確認された。
 そこから広がるように世界中の国々でも起こっている。もちろん、日本も例外ではない。亜依以前にも同じ様な症状で眠っている人がいる。
 まだ報告されていないだけで他の国でも同様の事件が起こっている可能性もある。
 そして、これからも増えていくであろうと推測されている。
「亜依……どうしたら目覚めるんだよ…………」
 誠司はぽろぽろと涙をこぼす。
「頼む……目を覚ましてくれ…………」
 眠っている亜依の顔を覗き込み、ゆっくりと顔を近づけていく。
 こうして寝顔を見ているとなんでもないように思える。
 確かに異常はない。
 だが、いつ目覚めるかわからない。
「亜依……」
 優しく呟き目を閉じると、柔らかそうな亜依の唇に自分のそれを重ねる。
 …………動きのない時間が流れる。
 聞こえるのは相変わらず機械の音だけ。
 あと、わずかにする寝息。
 ただそれだけしかない。
 誠司はゆっくりと顔を離す。
 そうする事が名残惜しい。
「…………」
 あとからあとから涙が溢れる。
 止める事はできず、ぽたぽたと布団に落ちていく。
「亜依…………」
 誠司は祈った。
 ただ一つの願い。

 亜依が目を覚ましますように――

 と。




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